訪問の心得

来たる日曜日、いよいよ彼の部屋にお邪魔させてもらうことになった。

 

男の部屋など衛生面で不安しかない訳だが、今回はフィジカル的にもダメージがあるかもしれない。いや、必ずある。だって犬がいるのだ。犬を飼ってる家に入ったのは中学生以来か。(その時もえらい目にあった)

まずは皮膚科の先生に相談しに行き、アレグラを処方してもらう。訪問する1時間前に服用し、長居はせず様子を見て、とのこと。わーっとるわい。軟膏は普段のストックがあるので中でも1番強力なステロイドをポーチに忍ばせた。

 

彼には「わんちゃんは大好きなんだけど少しアレルギーがあるの、顔を舐められるのだけは困っちゃう」とやんわり伝えてある。なぜやんわりかというと、やっぱりこの恋に賭けたいって気持ちがあったから。犬アレルギーです、なんて言ったらこの先付き合えませんって宣言してるようなもんだ。顔だけは死守して手や足の蕁麻疹はなんとか誤魔化していくっきゃない。先生のおっしゃる通り、様子見と行こう。

 

季節は10月の始めだったがまだまだ暑く、分厚い生地の洋服だと明らかにおかしい。スカートはご法度なので薄手デニムのオールインワン。お色気も欲しい為、肩全開のオフショルをチョイスした。なにせ敵は犬のみなのだ。下半身が布に覆われてさえいれば蕁麻疹がひどくなっても隠せる寸法。

 

次は手土産だ。

小次郎ちゃんへのお土産も用意することで己の格を上げたい、というスケベ根性でペットショップに入る。犬の匂いが充満している…が嫌な感じは全然しない。清潔なのだろう。ホッとした。

おやつコーナーを見つける。すぐさまその充実さに圧倒された。どうやって選べばいいか全くわからない。今時のコンビニだってこんなにたくさん陳列してないぞ。店員を捕まえてフレンチブルドッグの好きそうなやつをください、とお願いした。

「わんちゃんにアレルギーはありますか?」

「はぁああ?」

犬にもアレルギーがあんのかよ!

昨今どこのレストランに行ってもアレルギーの有無を確認してくれる大変優しい世の中にはなった。出来る男は予約段階で私の食べ物アレルギーのいくつかを伝えてくれている為、当日は至極スマートに食事をさせてもらえる。

まさか犬にも優しい世の中になってるとは思わなかった。というか犬にもアレルギーがあるなんてこの瞬間まで露程にも思っていなかった。

道理でおやつだけでこんなに種類があるはずだ。およよとなっている私の横で、にこやかにそれらの説明を始める店員。

ゔーーーーっ!何でもいいからおまかせで!!

まるで若い子へのプレゼントを買いに来たオヤジだ。わっかんないよ犬のことなんて。

結局無難なボーロとミルクガム2種類を選んでもらった。アレルギーがあるって言われたら知り合いの犬にでも貰ってもらおう。

 

彼にはお手製のティラミスをガラス容器で持っていく。これは映画「幸せのレシピ」の真似で、がっつりケーキを焼いていくってよりは、力の抜き具合が良いなぁとかねてから思っていたのだ。ガラス容器からよそって分けるってのがまた家庭的でいいじゃん。わざわざ買ったよ、イワキの大きめのやつを。

余談だけどプラスチックのタッパー程貧乏臭いもんなくない?チープさ故か、雑に扱って良い感がどうも気に入らない。お弁当箱にしてる人を見た時なんて涙が出そうになった。そのくらいの威力に思う。冷凍出来るというメリットはあるけれど、匂い移りや色移りを考えると結局ラップを敷いたりしなきゃいけないし、案外場所は取るしで、うちにあるものは皆捨ててしまった。家庭的には見せたいけれど貧乏臭くは見せたくない。

 

ティラミスのレシピもいくつか試作した。器の側面から見てキレイな層になるように、マスカルポーネのクリームとエスプレッソを含ませたビスケットを丁寧に重ねていく。ちなみにこういった試作は毎度職場に持っていくことにしている。「待ってました!」と言われるのが嬉しいし、アドバイスも貰えるし、あっという間に捌けるしで一石三鳥。おかげさまでちょっとほろ苦く、ラム酒の効いてる大人ドルチェが完成したわ、アモーレ!

力を抜いてるように見せて実はガチガチ。こういうセルフプロデュースへの労力は全く苦ではない。

 

冷えたティラミスに保冷剤を添えて大判のハンカチで包む。新品の紙袋(こういう時の為にロットで買ってある)にそっと入れ、端っこには犬のおやつを詰めた。

 

<思い出したら食べたくなって作りました〉f:id:yukakoji:20210515105744j:image

家に行く?行かない?

落ち込みはするがこの恋、まだ終わってはいない。何度かデートを重ね、お泊りもし、うちにもお呼びしている。彼はますますの好感度で「この話なかったことにしたくない願望」は強まる一方。

さていよいよ彼のおうちにお呼ばれする運びになった。

 

私は潔癖症で通っている。アトピー持ちには常識だが、私たちは24時間常に清潔な環境で暮らさなければならない。外部からの刺激だけではなく、自分の汗でさえ痒みの原因になるのだ。「潔癖症」という言葉を知った時、その万能な使いやすさに小躍りした。人に伝えるにはよっぽど簡単でわかりやすいし、わざわざコンプレックスを披露しなくて済む。

潔癖症に家に来られてはたまらん、と人の家に呼ばれることもなく、行きたいと申し出た場合のみ「掃除頑張っておくけどあまり見ないでね」と誰もが構えてくれる。(迷惑な女だな、ホントごめん)

男の部屋もしかり。「行っても良いけど嫌いになるかもしれないよ?」脅すとじゃあホテルでいいです、となる。それでも若い頃は何度か挑戦してみたこともあった。行くと決めたは良いものの、玄関でやっぱさいなら!と踵を返し逃げ帰ったこともある。大掃除をすれば何とか、と掃除用具一式持ち込んで頑張ってみたこともあるけど、キレイにしたとてそんなもんは大抵1ヶ月と持たないし、とっくに100年の恋も冷めてるしで良いことなんてありゃしない。

見たくないものは見ないで良し、がポリシーとなっていた。

 

今回はどうだろう。ビビビと来た彼。交際期間若干1ヶ月。

一歩先に踏み込むにはちょっと早い気もするが、少し気になっていることがあった。何度も乗せてもらっている彼の車。車内はいつもピカピカで犬の毛1つ落ちていないのだ。犬を飼ってるようには思えないんだけど?と聞くと、この車には乗せてないからと答えた。

それだけではない。抱きしめられても痒くなったことがないし、彼から犬の匂いすらしたことがない。私のアレルギーセンサーは精密なのだ。こうなってくると本当に飼っているのかも怪しくなってきた。

昨今ペット男子(オヤジも含む)というのは増えている。

「エサやらなきゃだから帰るね」

お泊まりをした朝の常套句だ。ハイハイ、どうぞお帰りよ。中には犬じゃなくお前が女房にエサもらう時間なんだろ?というのもあったなぁ。シッシッ!早よ帰れ!

 

今回の彼も彼奴等同様、同じセリフを吐き昼前には帰って行く。夜はエサをやってから出るねと言う。だけど全くもって犬の匂いがしない。

確かめよう。本当に犬がいるのかいないのか。犬という名の女がいやしないか。はたまたどんな暮らしをしているのか。

知りたい。

例え残念な結果になろうとも、ちゃんと自分の目で見て納得したい。見たくない、から見てみたい、に変わっていた。

 

〈2018年9月 西武新宿線ホームにて〉

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恋人の連れ子 

ぜーはーぜーはー。たまにピー。

只今絶賛喘息発作中。喉が締め付けられ気道も肺もいつもの半分くらいのよう。気を抜くと咳込んでしまい、咳込むと止まらなくなる。普通の呼吸ができないので浅めのを小刻みに回数で稼ぐしかない。苦しい。ピー、とは肺から小さく出る音だ。ひゅー、の時もある。どうやら息を吐く時に出る音のようである。

 

4~5才の頃か。私は立派な小児喘息持ちだった。発作が出ると運動はおろか歩くのもいけないと医者に言われ、たかが数メーター先のトイレに行くのにもおぶってもらっていた。そのうち、肺を鍛えなきゃいかんと母親にスイミングクラブに連れて行かれ、その甲斐あってか小学校に上がる頃にはすっかり治っていた。

現在38歳。肺を鍛えるどころか煙草を一日2箱、きっちり20年間吸い続けてきてしまっている。最近こそ(当時の恋人に言われ)電子煙草に切り替えて本数も気にするようになったけど、紙の煙草に比べてむせたり咳込んだりが明らかに増えた。どうなっとるんだ電子煙草の健康被害情報は。そんなことで悩むくらいなら煙草やめろよってお説教は聞き飽きてるので今日は勘弁。

ただそんな「肺いじめ」の結果が招いたのか、元々のアレルギー体質のせいなのか、発症してしまったのだ。オトナになってからの喘息発作。

そのきっかけとなった大きな原因は愛犬・小次郎であることは間違いない。(通称こったん・オス・現在4才)

 

<恋人の連れ子>

一瞬で恋に落ちた。理想像ってものは元々そこまで持ち合わせていない私だったが、出会った瞬間から常にガッツポーズ続き。連続で拳をピストンさせ「YESYESYES!!!」神様っているんですね!!!脳内広瀬香美状態。

その頃ドラマ「東京ラブストーリー」が何度目かの再放送中だったのだけど、平成生まれの若者達が昭和のテンションにドン引きしSNSがざわつきにざわついているとのことだった。私は目下完全にあちらの世界に通用するテンションで、周りからも「赤名リカをも超えるレベル」と茶化されていた。

そんな中、ロマンスの神様噓って言って!と弱気になる1枚の写真が彼から送られて来た。

「小次郎です。」「犬、好き?」

クリーム色で困り顔のわんこがちょこんとお座りしている。

ガーーーーーーン。

パグ?って聞いたかも知れない。正解はフレンチブルドッグだった。(パグとフレブルがごっちゃになるのが一般人あるある)

犬種はどうだっていい。私は正真正銘100パーセントのアレルギー体質なのだ。

ありとあらゆるアレルギー持ち、犬なんてもってのほかのすけ!犬アレルギー度?1000パーセントだよ!!

出会ったその日に「うちの嫁に」と口を滑らせ「あっまずは友達からだよねっ?ごめんごめん」と頬を赤らめていた彼。正式にデートした夜には私から「ねえ結婚しない?」と言ってしまった、いわゆるビビビと来まくった彼。バカにされるのを承知で書くが、本気で前世生き別れた恋人だと感じた瞬間もあったのだ。

犬がいるなんて聞いてない!!!私は恐る恐る問うてみた。

「小次郎くん、いくつ?」

「2才だよ!」

頭を抱えた。それから放心状態。2才と言うことは軽く見積もっても寿命はあと8年以上だろう。

無理だ。

犬愛好家には石を投げられる発想だが、老犬だったらともかく、と思った。こちとらバキバキのアレルギー体質なのだ。犬と10年も暮らせる訳がない!

お散歩中のわんちゃんをうっかり撫でたりしたもんなら、その日は丸一日全部の指の間、手の甲、手首まで蕁麻疹が消えない。激しい痒みと共に。触った傍からアルコール消毒し、ハンドソープで洗いまくってるのにも関わらず、だ。

猫を飼ってる男に抱きしめられた直後、男のセーターに触れた右の頬だけ蕁麻疹で腫れあがったこともある。犬を飼ってる男のバイクの後ろに乗った直後も然り。(しかもスカジャンだった、ツルツル素材でもお構いなし)

服だけじゃない。車のシートだってソファーだってそうだ。スカートもパンストもパンティだって履いているのに難なくアレルゲンは通過し、座った後は必ずお尻と太ももにびっちり真っ赤な蕁麻疹が出るのだ。

そしてこれがとてつもなく痒い。痒いどころの話ではない。アトピー持ちだけどアトピーの痒さなんか比にならんくらい強烈な痒みなのだ。

 

運命だと思った相手が犬と暮らしている…。

この話、なかったのかも…と心底落ち込みに落ち込んだ。

 

続く

《問題の写真「小次郎です」》

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